再開 母よ

昨日みた水星の魔女の最後は疑問

勢いでツイッターで「あれは要らないだろう。」とつぶやきましたわ。

このところもやもやする作品が続きますよ。正直このままでいいのかと思いましてここに考えを少し書いておきます。

私が目を疑ったシーン

始まりはガンダムNTの時マーサカーバイン移送時のディジェが検察官?を踏みつぶすところ。

昨年公開されたククルスドアンの島でのガンダムに乗ったアムロ少年が躊躇し嫌な顔をしつつもジオン兵を踏みつぶすところ。

今回の「彗星の魔女」でのガンダムエアリアルが虫を叩き潰すがごとく躊躇なくノーマルスーツの兵員を潰しました。

中でも今回のが一番ひどい

無重力中に血しぶきが飛び散り、ちぎれた腕が空を漂う。

ガンダムの手からはみ出た液体(もちろん真っ赤)、そこから降りてきた主人公がころんで手をついてその液体で染まり、救出対象へ差し伸べた手のひらが血みどろ。

なんでこんな絵を見せるのか。

頭おかしいんちゃうか?

ここ最近のガンダムがおかしい。

せめてこの時間帯の放映ならもっと考えるべきだと思うし、わざと炎上させたいのなら最低。

このところ人間を潰す表現をMSにさせるのが当然になってきたかと思うと私がプラモが好きだからなのかもしれないけど、それはないと思う。

やめてくれないか。

そりゃ蚊が腕に留まってたらバチンと叩くよ。たたいた後に手のひらを見たら吸われた血がついてたりするけど、それと同じことやってんの?

そんなに簡単に描くものでしょうか?

そりゃ主人公の友達と父上が危ないところだったでしょうよ。けどそれはガンダムの手で壁つくって、押しのけるくらいでいいでしょう?

潰れてしまったとして詳細表現はなくていいだろう。

かつてファーストガンダム

において13話「再開母よ」においてアムロ少年がベッドに横たわっていた時に偵察のジオン兵に向けて銃を発砲した表現があった。

あの時には毛布越しで銃を撃ったアムロ。撃った瞬間に血しぶきはない、その後車で逃げるもう一人のジオン兵に向かって威嚇射撃。戻ってくると他の人が撃たれたジオン兵を見て

「命には別状はない、医者を呼んでくれ。」と。ここまでの気遣いがあった。

そのシーンはとても印象深く、子供が大人になるというか軍人になったというか母親から離れていく重要なものだと解る。

そして,あの時の状況だ。対象はもちろん毛布に隠れているアムロ本人だったから連行されるか、最悪その場で銃殺されたかもしれない。匿っていた母やその周囲の人にも危害が及ぶかもしれないと考えればアムロの行動はやむにやまれない行動だったと解る。

すごくわかりやすいじゃない?あれ分からん奴がいることがおかしいでしょう。

あのときに血が見えただろうか。(さっき確認したけど一切見えない。)

あくまで人間対人間でありMSという巨大な乗り物が手のひらで潰すこともMSの足で潰すこともなかった。

戦争だからそのシーンには無くても違うところではあるかもしれないが、しかしそれは見ている人の想像に任せればいいでしょう。

アニメは人が絵を描いているものとして考えればそこにはストーリーを考えた人の目や手があり、幾重もの製作した人のフィルターが掛って世に出されるものだと思うと、あの表現はあまりにも稚拙であり残酷。

あのタヌキ顔の女の子があんな内向きな女の子がやるのか?

子供が大人になった瞬間ですか?軍人でもないよね。学園ものだし。

精神的におかしい子だということを表現したいってこととなのだろうか?

あのシーンは何も考え無しに潰しただけだ。

製作した人へ、「お前は親にその作品観た後の感想を聞いたのか?」

上からの命令でとか言うのか?自分で作った作品に責任を持て。

数万人単位で見るものなのだし、後世に残るだろう。

どういう影響を与えるかを考えて作れ。

人気をとるだけが仕事じゃないんだよ。

次クールに繋ぎたいとか?

ほんとか?

ガンダムというコンテンツを変な方向に仕向けてない?

ツイッターの記事が炎上すると今のあれを製作しているところの思惑に加担することになるかもしれないからツイッターには出さない。ここ読んでくれてる人だけ私の思いを理解してもらえたら幸いです。

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