日本が育む「人財」は、なぜ中国に「奪われる」のか? – 見過ごされがちな日本の危機

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– 見過ごされがちな日本の危機

先日、ビジネスアナリストの深田萌えさんとモータージャーナリストの池田直先生の対談を拝聴する機会がありました。トランプ関税が日本の自動車産業に与える影響について深く議論される中で、非常に胸を衝かれる一言がありました。それは、「日本の教育機関が育成した人財が中国に奪われている」という池田先生の指摘でした。

「そんなことは今に始まったことじゃない」と思われるかもしれません。しかし、この言葉の裏側には、単なる個人の転職とは異なる、日本の競争力と未来を蝕む深刻なメカニズムが潜んでいます。今回はこの問題に焦点を当て、なぜこの状況が看過できないのかを考えてみたいと思います。

「完成品」としての日本の人財

私たちは、新卒採用から長きにわたり、社員の育成に多大な時間とコストを費やしてきました。基礎的な知識やスキルの習得はもちろん、現場でのOJTを通じての実践的なノウハウの伝授、さらには企業文化や倫理観の醸成まで、日本の企業は「人財」を多角的に育むための膨大な投資を行っています。これは、目先の利益追求だけでなく、企業の持続的な成長を支える、言わば「将来への先行投資」なのです。

池田先生はこれを「(企業は)全集合に対する教育だったら10倍どころじゃなくて100倍も1000倍もかけてる」と表現されました。つまり、私たち日本企業が、社員一人ひとりを「完成品」へと磨き上げてきたそのプロセスこそが、実は極めて価値の高い「資産」であるということです。

中国企業の「フリーライド」戦略

しかし、この貴重な「資産」が、まるで安価な既製品のように海外へ流出している現状があります。特に中国企業は、日本の企業が長年かけて育成した「完成された人財」に対し、日本の水準を遥かに超える高額な報酬を提示して引き抜いています。

これは、中国側から見れば極めて合理的な戦略です。自社でゼロから人材を育成する手間もコストもかけずに、既に高いスキルと経験、そして日本の企業文化の中で培われた規律や信頼性を兼ね備えた人材を「買う」ことができるのですから。まさに、私たち日本企業が多大なコストをかけて積み上げてきたものを、彼らは「ただ乗り(フリーライド)」しているに他なりません。

流出するのは「人」だけではない

この問題の真の恐ろしさは、単に「人が移る」という点に留まりません。引き抜かれるのは、その「人」が長年の経験で培ってきた企業秘密、独自の技術、深いノウハウ、そして開発プロセスそのものといった「知的財産」の塊です。

もし、ある技術分野のキーパーソンが競合他社に移籍すれば、その企業の持つ核心技術が流出するリスクは計り知れません。それは、これまで日本が培ってきた技術的優位性や競争力を、自ら手放してしまうようなものなのです。新製品の開発が遅れ、市場での優位性が失われ、やがては日本の産業全体の空洞化に繋がりかねない、極めて深刻な危機であると認識すべきです。

問われるのは「人財」への評価と国家戦略

では、どうすればこの状況を打開できるのでしょうか。

まず、企業は「人財」への評価と投資のあり方を見直す時期に来ています。年功序列に偏りがちな賃金体系や、成果が正当に評価されにくい文化は、優秀な人材のモチベーションを下げ、海外への流出を加速させます。真に実力と貢献度に応じた報酬体系、そして個々人が能力を最大限に発揮できるような魅力的な研究開発環境の整備は急務でしょう。

そして、より大きな視点では、国家としての戦略が問われています。私たちは、高額な報酬を提示する海外のオファーに「個人の選択」という言葉で片付けて良いのでしょうか。長年かけて育成してきた「知の結晶」が他国に渡り、それが日本の競争力低下に直結する現実を、もっと真剣に捉えるべきです。

基礎研究への投資、教育機関への支援、そして国家レベルでの経済安全保障対策の強化。これらは、日本の未来を担う「人財」を守り、育み続けるための不可欠な施策です。

まとめ

中国の急速な経済成長は、時に国際的なルールや慣習を無視した形で進行しています。しかし、その中で彼らが最も賢く、そして恐ろしく利用しているのが、私たち日本が長年培ってきた「人財」であり、その育成システムです。

この問題に正面から向き合い、企業も国家も「人財」の真の価値を再認識し、彼らを守り育むための具体的な行動を起こさなければ、日本の将来を担うべき「知」の根幹が揺らぎ、取り返しのつかない事態に陥ってしまうかもしれません。未来の日本を支える「人財」が、安心して活躍できる環境を、今こそ真剣に考え、築き上げていく時です。

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